2025年6月10日(火)
主張
自民・西田氏暴言再び
沖縄戦の真実否定許されない
自民党の西田昌司参院議員(京都選挙区)が那覇市での改憲集会の講演で「ひめゆりの塔」の展示内容を「歴史の書き換え」と述べ、後に訂正・謝罪したのは「『TPO』(時間・場所・場合)を弁(わきま)えない発言だった」からで「その他の部分は嘘(うそ)ではありません。事実です」などと開き直っています。これに対し沖縄では「憲法を変えるという政治的な目的に沿うように都合よく歴史を解釈するもの」で「県民を再び侮辱している」(琉球新報1日付社説)と厳しい批判が上がっています。
問題となっているのは「『ひめゆりの塔』発言訂正の真意 私は事実を語った…」と題する西田氏の寄稿文です(『正論』7月号)。
■「侵略戦争」認めず
この中で西田氏は、ひめゆりの塔の展示内容は「日本の『侵略』により戦争が始まり、米軍の『進攻』又は『反攻』により戦争が終わった」という「東京裁判史観」そのものだったと主張。「私たちが行うべきは『誤った戦争の犠牲者』といったレッテル貼りではない」「日本のために命をなげうった沖縄県民を『犠牲者』とだけ断じる歴史観を受け入れることは、私にはできません」と述べています。
しかし、日本の戦争が侵略戦争であり、その帰結として多くの県民が沖縄戦で犠牲になったことは、歴史の事実です。しかも、沖縄戦は国体(天皇制)護持のため徹底抗戦が絶対の方針とされ、県民は「捨て石」にされ、壮絶な地上戦に巻き込まれました。文字通り「誤った戦争の犠牲者」でした。そうした事実を「東京裁判史観」などというレッテル貼りで否定することこそ、歴史の書き換えです。
西田氏は、沖縄戦で「(県民は)日本人として日本のために命を失った」などと美化し、ひめゆり学徒隊についても「健気(けなげ)に兵隊さんと一緒に日本のために戦われました」と述べています。
しかし、ひめゆり学徒隊の戦死者の大多数は、学徒隊が解散し戦場に放り出された後に生まれています。徹底した軍国主義教育を受け、捕虜になることが許されなかったためです。ひめゆり学徒をはじめ県民が命を落としたことを、お国のために命をなげうって戦ったなどと「殉国美談」にすることは、県民を死に追いやった為政者と軍を免罪し、軍国主義教育を肯定、復活させることを狙うものです。
■「戦争国家」許すな
西田氏は、沖縄は「『東京裁判史観』がもっとも深く沈殿」しており、これを変え、「歴史観を取り戻さなければ、改憲はできない」ということを伝えるのが、先の講演の主眼だったと告白しています。講演で、沖縄での歴史教育を「地上戦の解釈を含めてかなりめちゃくちゃ」と非難したのもそのためです。
今、沖縄など南西諸島では軍事態勢強化、戦争準備が進んでいます。西田氏が沖縄戦で県民が「捨て石」にされた事実を否定しようとするのは、そうした歴史認識が自公政権による「戦争国家づくり」とそのための改憲の障害になっているからです。沖縄戦の悲劇を繰り返さないため、西田氏ら歴史修正主義者の策動を許さないことが必要です。