2025年6月4日(水)
きょうの潮流
同じ時代を生きた劇作家の寺山修司は、かつてその選手の引退にあたり、こんな賛歌を送りました。「思えば長嶋茂雄は、百万人の焼土の野球少年の描いた夢の実現した姿だったのだ」▼戦争中は敵性スポーツとして迫害されながら、戦後の焼け跡で瞬く間に広がった野球。それを国民的な人気スポーツに押し上げた立役者でした。ここぞという時に発揮する無類の勝負強さ。打って守って走って、すべてのプレーが躍動する選手でした▼ミスタープロ野球と呼ばれた長嶋茂雄さんが亡くなりました。グラウンドは「自己表現の場」だとして、三振しても豪快なスイングでヘルメットを飛ばしファンを沸かせました。つねに注目を浴びながら「期待は喜び」だと語るプラス思考。あの明るい笑顔は、子どもにもおとなにも愛されました▼周りが天才型と評すなかで、いつも本人は「自分は努力型」だと。実際、巨人のチーム仲間も練習の熱心さは人一倍だったと証言しています。華々しいプレーの裏には自分自身とむきあい、納得できるまで鍛える日々がありました▼監督になってからも目立ったのは選手を鼓舞する姿勢で大一番にも前向きな発言をくり返しました。2004年に脳梗塞で倒れた後もリハビリに励み、子どもたちに教える姿は野球の伝道師としての使命を果たすかのように。最後の夢は走ることだったといいます▼多くの人びとを魅了し、心に刻まれてきた「4番サード長嶋、背番号3」。いちずに野球にささげた89年の人生でした。