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2025年4月24日(木)

主張

中谷防衛相の暴言

牛島司令官の句 美化を許すな

 1945年の沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官の「辞世の句」について、中谷元・防衛相が国会答弁で「平和を願う歌」だと美化したことに沖縄県内外から怒りの声が上がっています。

 中谷氏は22日の記者会見で、自身の国会答弁は歌の解釈ではなく、「防衛大臣として、わが国の平和への願いを述べた」などと正当化しました。しかし、そうした詭弁(きべん)は通用しません。

■「あまりに身勝手」

 中谷氏の答弁は、日本共産党の赤嶺政賢議員が、陸上自衛隊第15旅団(那覇市)がホームページに載せている牛島司令官の辞世の句を削除するよう求めたのに対するものです(18日の衆院安全保障委員会)。

 同ホームページ掲載の牛島司令官の辞世の句は「秋を待たで 枯れゆく島の青草は 御国(みくに)の春に よみがえらなん」というものです。米軍に包囲され、沖縄本島南部にある摩文仁(まぶに)の丘で自決するのを前に詠みました。

 「御国」は、絶対的な天皇が統治する国(皇国)を意味します。「戦場に散っていったとしても、皇国でよみがえる。だから最後まで戦え」(赤嶺氏)という歌です。

 中谷氏はこの歌の解釈として「先の大戦において犠牲になった方々に心からの哀悼の意を表し、その教訓を生かして、これからの平和をしっかりと願う歌と受け取っている」と述べました。これは「あまりにも身勝手な解釈」(赤嶺氏)です。

 沖縄戦は、「国体護持」を至上命令にし、本土決戦を遅らせるための捨て石作戦でした。司令部のあった首里陥落を前に、牛島司令官は、住民が避難している本島南部に撤退して持久戦を続けることを決めました。その結果、南部一帯は軍民混在の戦場となり、米軍の無差別攻撃だけでなく、日本兵による壕(ごう)追い出しや殺害などにより、多数の住民が犠牲となりました。

 牛島司令官は自決に先立ち、生き残った兵士らに「最後迄(まで)敢闘し悠久の大義に生くべし」と徹底抗戦を命じ、犠牲はさらに拡大しました。

■防衛相の資格なし

 第15旅団が牛島司令官の辞世の句をホームページに載せていたことが発覚したのは昨年6月でした。批判を受けて10月に削除したものの、ホームページのリニューアルに伴い、沖縄戦80年を迎えた今年1月に再び掲載しました。

 中谷氏は、リニューアルについて「地元のみなさまに第15旅団を身近な存在と感じていただくため」などと述べました。凄惨(せいさん)な沖縄戦を体験した県民の気持ちとあまりにもかけ離れた認識です。赤嶺氏が、沖縄戦の犠牲者らを追悼する6月23日の式典に参加する資格はないと批判したのは当然です。

 中谷氏は、沖縄県の米軍普天間基地の返還条件とする辺野古新基地建設に関し「沖縄県が努力していれば、もっと早く普天間の移設も進んだ」などと述べています(10日の参院外交防衛委員会)。沖縄の辺野古新基地反対の民意をまったく無視するものです。

 沖縄戦や米軍基地への県民感情を理解できない中谷氏に防衛相の資格はありません。


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