2025年7月27日(日)
すべての人 大事にする社会に
やまゆり園事件9年 献花絶えず
相模原の障害者施設
![]() (写真)花を手向け、手を合わせる人=26日、相模原市 |
障害者入所施設で暮らす障害のある入所者19人が殺害され職員を含む26人が重軽傷を負った「津久井やまゆり園」事件から9年となる26日、同園=相模原市=で追悼式が開かれました。鎮魂のモニュメントには献花台が設けられ、炎天下、花を手向ける人が絶えませんでした。
「(亡くなった19人は)自分が関わっている子たちのこと。人ごとと思えない」。特別支援学校の教員の男性(59)=千葉市=はそう声を詰まらせます。大学時代の同級生3人とともに初めて訪れました。
2016年の7月26日に事件を報道で知った夜は、ショックで眠れず嘔吐(おうと)しました。気持ちの整理がつくのに9年かかりました。手を合わせたとき「二度と繰り返しませぬから」と伝えました。
差別的な主張をする政党が伸長したり、イスラエルのガザでのジェノサイド(集団殺害)が続く状況に、「社会全体が障害のある人や弱者に優しくない」と感じています。「すべての人を大事にする社会をつくるために、これからも子どもたちに関わっていきたい」
大学で障害学を学ぶ女性(22)=静岡県焼津市=は「障害がある人が排除される優生思想は絶対許してはダメだ」との思いで初めて訪れました。学業の傍ら、障害者施設で夜勤のアルバイトを続けています。重度障害のある人との関わりを通して、植松聖死刑囚が重度障害のある人を「心失者」と表現したことは「全然違う」と断言します。「障害があって言葉は発することができなくても答えてくれる」
SNSなどで植松氏の発言を擁護する人がいることを「すごく悲しい」と感じています。「生きる価値を勝手に決めるなと思う。どんな属性の人でも生きやすい社会のために、これからも障害のある人と関わる仕事をしたい」
「どうして」考えてきた 事件後不安増した いろんな人とつながれば
初めて献花に訪れた女性(59)は、やまゆり園の近くに住み、事件前から入所者が散歩や買い物をする姿を見ていました。「みんな穏やかに、幸せに、一生懸命に生きていた。どうして、こんな事件が起きてしまったのか、ずっと考えてきました。今日やっと、ここに来ることができました。誰もがおびえずに、疑わずに生きていける社会にしたい。障害がある人が安心して生きられる社会は、誰もが安心して生きられる社会です」
「事件前からあった、外で誰かに突き飛ばされるのではという不安が事件後に増した」。そう話すのは脳性まひのある男性(32)です。事件後1、2年は毎月、それ以降は7月26日に東京都中野区から約2時間かけて献花に訪れています。「障害のある人と障害のない人が、お互い理解し合って生活できる社会が理想です」
月に1度、障害のある仲間と余暇活動や勉強会などをする団体「ピープルファースト横浜」の仲間とともに訪れたのは女性(39)=横浜市=。「安らかに眠ってください」と亡くなった19人に伝えました。「私たちをもっと知ってもらって、いろんな人とつながりあえたらいいな」